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所長の 弁理士試験 合格体験記平成8年10月作成

  1. 1. 論文試験の合格発表の日

    今年は不合格を覚悟していた。全力を出し切ったものの、悔いの残る答案があったからだ。近畿富山会館の4Fに張り出された合格者リストの中に自分の名前を見つけた時は本当に驚いた。「え!あの答案が合格・・」という気持ちと、特許庁に対して「ありがとう」という気持ちが起こった。会館の1Fから妻に電話した。「どうしたん?」と聞かれて、「合格」の一言が出てこない。全身から涙が出て止まらないのだ。合格者リストの中に自分の名前を発見する瞬間ではなく、この吉報を妻に伝えるこの瞬間を、4年間待ち続けていたのかもしれない。

  2. 2. 受験の動機

    大学を卒業して技術系の輸入商社に入社した。ここで技術者として多種多様なエレクトロニクス機器の保守や開発などをしていたが、勤続10年を超えたころから営業職にシフトしてきた。営業を経験して分かったことは、自分は人間を相手に仕事をするよりも自然科学を相手に仕事をするタイプの人間であるということだ。

    そこで、自分の好きな技術とともにいつまでも仕事ができる職業がないか探した。転職雑誌で弁理士を募集する特許事務所の広告を見つけた。それは私が初めて弁理士なる職業を知ったときである。書籍で弁理士なる職業の内容を調べた。まさに自分の天職を見つけたり、と思った。超難関の国家試験にパスしなければならないが、それだけ手に入れる価値の高い資格と思われること、一企業内の役職とは異なるグローバルなステータスシンボルが得られること、広く先端技術に関わりながら一生仕事を続けることができること、社会では知的所有権の重要性が認識されつつあり将来性があること、自由業であり自分の力をダイレクトに発揮できそうであること、が理由である。このとき既に37才であり、弁理士を志す年齢として高齢に属する。駆け足で行こうと決意した。

  3. 3. 受験開始から最終合格まで

    1. (1) 1回目の受験まで(平成5年1月〜5月)

      以前に技術系の資格を7つほど取得していたが、これらの受験勉強と同様のペースで勉強した。青本だけを買って独学で読んだ。多枝試験の結果は不合格。当然である。ちなみに、Wセミナーでの直前模試の結果は15点だった。もう少し出来ると思っていたので、私なりにショックを受けた。この資格がいかに挑戦価値の高いものであるかを再認識するとともに、大いに燃えた。

    2. (2) 2回目の受験まで(〜平成6年7月)

      多枝試験の終了後、通学可能な土曜日に開講されていたDセンターの初級コースに入門し、本格的な勉強を開始した。その後、ここの中級コースと論文答練も受けた。

      この初級コースでのオリエンテーションで、受験開始にあたり具体的な目標を設定するように言われた。「3年後合格」という目標では実際には4・5年かかるだろうとのこと。これを聞いて私の目標は決まった。「1年後にトップで合格」である。なぜなら「1年後合格」では実際には2・3年かかるだろうから、確実に1年後に合格するにはこの目標にすればよい。そうすれば実際には多少の目標倒れがあっても1年後に全受験者中の100番ぐらいの位置につけてめでたく合格、と考えたからである。これは、冗談ではなく、本気でこの目標を設定し実現するための行動を起こした。

      そのために、平成5年10月に15年以上勤めた会社を辞めた。そして浪人生活を始めた。初めての経験である。事前に妻に打ち明けたときにはびっくりされたが、「そこまで決意しているなら・・」、であった。このとき、私は38才であり、中学生を先頭に3人の息子がいた。妻は働いておらず、生活費のことが問題となる。しかし私は気にしなかった。ここでの投資は必ず何倍かになって返ってくる。また、毎日家に居る父が子供達にどう映るかが問題となる。がんばる父の背中を見ている限りは大丈夫。そう信じた。

      浪人した甲斐があり、年内には3つの選択科目について過去問を全て解き、自分なりのサブノートを完成させた。しかし、初めての論文答練に出て気がついた。全ての受験生が自分と同時に受験を開始したのではないこと、そして、論文力ではベテラン受験生にはかなわないことを。

      論文答練では総合成績44位に終わった。Dセンター所長から合格圏内だからがんばれとの通知をもらった。結果は、多枝試験に合格したものの、論文試験で不合格。選択科目では3科目とも80点以上とれた自信があった。もしや合格か、とも期待していたのに。必須科目で力不足だったと思われる。このようにして「1年後(トップ)合格」の夢は無惨にくずれ、私も凡人であることを痛感した。

    3. (3) 3回目の受験まで(〜平成7年5月)

      2回目の受験の失敗を反省し、次の1年は必須科目の論文力を延ばすことを目標にした。代々木塾のゼミ入会テストを受け、運よく大阪金曜上級にパスした。祐末先生の下で答案練習をし、本格的な答案とはいかなるものかを学んだ。それまで私は答案作成とは暗記したレジュメを単に再現する機械的な作業だと思っていたが、それは誤りであり、列挙する項目の順序ひとつをとっても、創作的なものであることを知った。また、祐末先生は熱血であり、指導者はいかにあるべきか、についても学ぶところがあった。

      一方、この頃に私は、合格まで浪人を続けるべきか、特許事務所に入って実務能力の取得と受験勉強とを並行して進めるべきか迷った。その結果、特許事務所に入ることにした。私は既に38才でありながら実務経験が無かったこと、ある程度の論文力がついてきたので来年には合格できるだろうと思ったこと、毎日自宅に居ると気分転換したくなることが理由である。

      そこで約1年の浪人生活に終始符を打ち、特許事務所に入った。ここで特許明細書を作成する補助をした。この仕事は、自分でレジュメを作ることをしなかった私にとって、論文力をつけるいい訓練にもなった。ワープロで明細書を作成するときに、接続詞を変えてみたり修飾詞の位置を入れ替えてみたりして、どうすれば分かりやすい文章になるか、どうすれば説得力が増すか、ということを考えながら文章の推敲ができたからである。

      年内に代々木塾の答案構成講座を受けた。堤先生の無駄のない解説には感心した。また、配布されるレジュメは基本書に忠実であり、安心して覚えることができた

      年明けからは代々木塾の論文答練に参加した。初めて優秀答案をとることもできた。論文の力がついてきたことを実感した。答練の総合成績は68番であり、一応の合格圏内に入った。ようやく最終合格できると思った。

      3回目の本試験に挑んだ。結果は、全く心配していなかった多枝試験で不合格である。それもボーダーといわれた39点である。これにはショックを受けた。「しまった」と思ったが遅かった。思えば、この1年間はひたすら必須5科目の論文の練習ばかりしてきた。その力を本試験で試すことができないなんて。多枝と論文の勉強量のバランスの重要性を痛感するとともに、弁理士試験の恐さを知った。その年の多枝試験に合格した人たちが偉く見えた。

    4. (4) 4回目の受験まで(〜平成8年10月)

      次の目標は多枝試験に余裕で合格し、そして、もちろん最終合格することである。勤務する特許事務所の所長の勧めもあり、いま一度初心者に返り、基礎から工業所有権を勉強し直すことにした。具体的には、年内にはWセミナーの多枝逐条解説を受講し、年明けには多枝答練を受講することで常に条文に接するよう心がけた。

      一方、論文の力も延ばすべく、本年も代々木塾の入塾テストを受け、大阪月曜上級に入れて頂いた。ここで松村先生の指導の下、答案練習をした。松村先生の器の大きさに触れることができ、私も早くこの先生のような弁理士になりたいと勉強意欲を燃やした。

      年明けは代々木塾の論文答練に参加した。総合成績は108番と去年よりも下がった。今年は去年と相違し、列挙する項目の多さよりも自分の納得できる文章を書くよう心がけたこと、毎回の点数をあまり意識しなかったこと、週に1日は多枝の勉強をしていたことがその原因と思われる。

      論文答練が終了すると多枝の準備に専念した。出来る限り多くの模試を受け、新問が出題された場合に備えた。もう去年と同じ失敗は繰り返せない。そして、万全を期すべく、多枝本番の1週間前から休みをもらった。

      多枝本試験に挑んだ。本番で一気に50問解き終えて時計を見た。まだ2時間を経過していない。模試のときよりも早く解答できた。トイレに行って気分転換し、残る1時間を見直しに充てる。ところが何度見直しても、解答変更が生じない。このような経験は初めてである。いままでは解答を見直せば最低1問の勘違いを発見したものだ。試験当日の夜に代々木塾に電話し、自分の解答を伝えた。「ほとんど全部正解ですよ」と言われた。結果は49点である。自己最高記録である。

      多枝試験日の次の日から必須と選択科目の勉強に集中した。今年は、去年のように多枝試験の結果を気にする必要がない。多枝試験の合格が確定すると、事務所の所長に申し出て論文試験までの1ヶ月あまりの試験休暇を頂いた。

      多枝試験が終わっては必死に勉強した。絶対に今年に最終合格するつもりでいた。必須科目の勉強に全時間の8割ほど充てた。レジュメを回して答練時の力を呼び戻すだけに止めなかった。論文知識の幅を広める作業をした。具体的には、この時期までに手に入れておいた法学書院、発明協会、Dセンターが発行する過去問解答集を用いて過去20年以上(昭和46年〜平成7年)の過去問の解答例を比較しながら目を通した。さらに、中山「注解特許法上・下巻」を購入し、これまでにレジュメ等で参酌された論点を確認した。勿論、吉藤「特許法概説」、高田「意匠」、斉藤「意匠法概説」、網野「商標法」についても論点を抽出し確認した。さらに、平成5年・6年改正法の解説書を読み、改正の趣旨だけが問われた場合に備えた。また、条約ではTRIPS協定で1問出題された場合にも備えた。また、普段は見ることがない代々木塾以外の受験機関が発行するレジュメにも目を通した。この時期は文章力を伸ばすことは不可能と割り切り、知識の幅を増やすことに専念した。

      選択科目については、あまり多くの時間を充てなかったが、必須科目と同様に、自分の持ち物全部について一通り目を通した。

      順調に追い込み作業が進み、代々木塾の直前答練では28位と答練時よりも成績が伸びた。

      そして論文試験に挑んだ。最後まであきらめずに全力を出し切ることができた。その点において悔いはない。しかし、万全の準備をしたにも拘らず、期待していたほど出来なかった。論文答練の基準でいけば80%の確率で不合格、という感じであった。

      必須科目では、実用新案法で侵害事件における乙の抗弁が問われたが、後で分かったことであるが、私が書いた内容は抗弁ではなく否認であった。意匠法では、形状に係る意匠の利用関係が問われたが、「湯呑み茶わんに後から絵付け」と「プレス加工で形状と模様が一体に形成」の2つの場合を答案構成時に挙げておきながら、なぜか答案に「プレス加工・・」の場合を書くのを忘れてしまった。商標法では権利の侵害となる場合が問われたが、専用権と禁止権の場合の説明に時間を取られ、間接侵害や防護標章登録に係る権利の侵害については1・2行の説明しかできなかった。最悪の科目は条約である。PCTでは「図面」と「要約」について問われたが、条文(特に規則)めくりに時間を取られ、「我が国の取扱い」では条文番号を列挙したに止まった。パリ条約に着手できたのは残り40分の時点である。特許等と商標の独立の原則を最低限に止め、わが国の並行輸入に回ったのが残り約5分の時点。問われているのは特許だけではないから商標に関する並行輸入から書いた。こんな事を書いていたら最大の論点であるBBS事件に触れることができなくなる。わかっていても、なかなか切り上げられない。特許の並行輸入に回ったのが残り約3分の時点である。必死で書いた。「やめ」の合図でペンを置いて自分の答案を見た。読める字ではない。みみずになっていた。

      数少ないが、満足に書けた問題もある。一つは商標法の登録主義と使用主義の相違を問う問題である。最後に「なお、以上の相違は商標保護政策の考え方の相違に過ぎない」(青本)と書いたときは、うまく書けたという実感があった。また、意匠法で意匠の同一が問われたが、これは、高田「意匠」でマークしていたこと、法学書院発行の同一問題のレジュメで覚えていたこともあり、問題を見たときには「しめた」と思った。

      論文試験の終了後は、ゆるむことなく、来年の最終合格に向けて再び準備を進めていた。不合格を覚悟していたからだ。代々木塾のゼミ入塾テストを受け、再び大阪月曜上級にお世話なることになっていた。また、土曜日の昼には代々木塾の答案構成講座に、その夜にはWセミナーの論文ブリッジに通学していた。しかし11月7日よりこれらの準備は不要となり、急きょ口述試験の準備に切り替えた。そして、2回の口述練習会を経て、本番に挑んだ。20分間で終わった。本番も含めて最も緊張したのは、代々木塾主催の初めての練習会だった。

      最終合格発表がある日の前の週に、先輩弁理士から、口述試験の不合格者が出ていることを知らされた。不安になってきたので、最終合格発表のあった日は、合格証書授与式会場に直接行かず、近畿富山会館に寄り、最終合格を確認した。こうして4年間の受験生活にピリオドを打つことができた。

  4. 4.具体的な勉強方法

    1. (1) 多枝試験

      私の4回の受験結果は、不合格、合格、不合格、合格である。3回目の受験ではボーダーと言われた39点で不合格、4回目の受験では自己最高の49点で合格である。この差は、以下のように解析する。3回目の受験では、多枝試験で落ちるはずがないと思っていたこと、過去問や受験機関が出す問題の演習に時間を裂き、条文から離れた勉強になっていたこと生の条文を覚えようとせずに4法対照に書き込んだ自分のメモばかりを覚えていたこと、が失敗の原因と思われる。4回目の受験では、年明け前から多枝関連の通信講座のカセットを聞くなどして週に1日は多枝の準備に充てていたこと、先輩弁理士からのアドバイスで多枝50問を科目ごとにまとめて解くようにしたこと、試験の直前の1週間は過去問の演習や自分のメモを覚えるということはせずに生の条文をひたすら読み込んだこと、が成功の原因と思う。

      今年の多枝試験の本番中では、問題文を読んだときに目の前で法令集を開いているかのように頭の中に鮮明に条文が現れるという不思議な感覚を経験した。今年は本当に迷わず気持ち良く解答することができた。

      そこで、次の2つのやり方をお勧めしたい。

      一つは、50問を科目ごとにまとめて解いていく方法である。私は1年間、模試や本番でこの方法をとったが、転記ミスは一度もしなかった。頭の切り替えがスムーズに行われ、正当率が上がり、解答時間がかなり短くなった気がする。

      もう一つは、試験直前の条文の読み込みである。重要なのは、書き込んだメモやサブノートなどには目をやらず、ひたすら生の条文を読み込んでいく。このとき、暗記しようとせず、一字一句、主語や語尾などに注意しながら読み進めていき、繰り返す。このような方法で生の条文から離れない勉強をしている限り、多枝試験に落ちることはないものと信じる。

    2. (2) 論文(必須科目)

      1. 代々木塾の論文サブノートを基本とし、そこに書き込みをするという勉強方法をとった。意匠法での具体例のように、暗記項目の多い場合にはマンガを書いた。例えば、動的意匠であれば、ピアノの蓋を開けたら猫が飛び出し、そのピアノの鍵盤の上には傘が置かれ、コマが回っている、ようなマンガである。一度見れば忘れることがない滑稽なマンガがよい。
      2. 趣旨や理由付けの表現を覚えたり再現したりするときには、積極的なものと消極的なものの両面があることを意識した。例えば、秘密意匠制度の趣旨であれば、積極的には「実施時期と公表時期の調整により意匠権者を保護するため」となるが、消極的には「秘密にしても弊害が少ないから」となる。特に、消極的な理由づけは、理由づけが見つからないときに役立つ。通常は「〜しなければ、〜となってしまうから」という表現形式になる。例えば、明細書の補正において新規事項の追加を禁止する趣旨であれば、「新規事項の追加を許したのでは先願主義に反するから」という消極的な理由づけがぴったりくる。
      3. また、消極的な理由づけで便利な表現に「〜としたのでは妥当でないから」というのがある。特に、公序良俗に関連して頻繁に用いられる。但し、使う場所を誤るとかえって心証を悪くするので要注意である。
      4. 価値あるものと思われる参考書などはお金を惜しまずに購入した。各受験機関が発行するレジュメ集についてもほとんど購入し目を通した。今年の問題では、「意匠の同一性」、実用新案法の「方法的記載」は、論文サブノートには出ていないが、それぞれ法学書院のレジュメ集、Pラボのレジュメ集に出ている。まるで、本試験の問題が代々木塾の論文サブノートに掲載されているテーマから意図的に外されているかのようだ。
    3. (3) 総括

      この試験が超難関であるのは、単に倍率だけの問題ではなく、様々な点において「バランスの良さ」が求められるからだと思う。以下、主なものを列挙する。

      1. 1. 多枝試験と論文試験

        いずれかの試験において飛び抜けて優秀であっても、他方の試験でボーダーに達しなければ最終合格はできない。私の3回目の受験の失敗は、このバランスを崩していたことが原因である。このアンバランスによってさらに1年間を棒に振った者の数は少なくないと思われる。

      2. 2. 必須科目と選択科目

        論文試験において、主観的ではあるが、必須科目のほうがよくできた、という者よりも、選択科目のほうがよくできた、という者が合格しているような気がする。つまり、選択科目の合格に占める重要度は受験界で予想されている以上のものではないだろうか。

      3. 3. 項目と論理性

        必須科目の論文試験では、項目(必要項目をいくつ挙げたかということ)と論理性(正しい日本語の文章、読み易い文章、流れのよい文章、説得力のある文章、ポイントをついた無駄のない文章等が書けていること)の両面から点数が決められると言われる。自分の本試験での論文の出来具合からして、本試験での論文の採点基準は、受験界の採点基準とは少しずれており、より論理性重視になっているように思える。

      4. 4. 知力と体力

        私は6年前からスイミングスクールに通っている。週に最低1回(1時間)は行く。受験期間中もずっと通い続けた。多枝試験の直前も休まなかった。それまでは年末になると毎年のように風邪をひいていたが、このスクールに通い初めてからは1度も風邪をひいていない。体力には自信がある。だから、受験期間中の各種講座やゼミは1度も欠席しなかった。年が明けると1時間でも多くの勉強時間を確保したくなるが、私はいつの時期であっても毎週泳ぐことを止めなかった。この1時間の体力づくりは、その何倍かの時間の知力づくりに相当すると信じるからである。

      5. 5. 受験勉強と家族サービス

        特に既婚者にはこのバランスが要求される。家族の理解と健康がなければ、受験勉強どころではなくなる。その点で私は恵まれていた。家族のみんなにわがままを許してもらった。もし、このバランスにおいて問題点を生じるようなおそれがあれば、それを解決しておくことが受験勉強を開始する前提となるのは言うまでもない。

    4. (3) 選択科目

      1. 1. 原子核工学

        最も受験者の多い選択科目である。説明中心の科目であること、受験機関からレジュメが出回っていること、が原因であろう。また、原子力関係の技術の変化は他分野に比べて緩やかであり毎年の勉強で得た知識の蓄積が可能な科目であるとも言える。現に私は20年前に大学で使用していた教科書(電気学会編「原子力発電」電気学会)を参考書として用いた。

        しかし、平成7年、8年と連続して核物理や放射線関連の計算問題が出題されており、この計算問題に解答できるかが一つの分かれ目である。今後もこの傾向が続くと思われる。この出題傾向は納得できる。この試験科目は「原子力工学」(原子力発電等の応用技術が中心)ではなく、「原子核工学」(核物理や放射線等の理論が中心)だからだ。

        私は、大山彰「現代原子力工学」オーム社を基本書とし、原子力発電関係を「電気工学ポケットブック」電気学会編(第11編のみ)で補足し、核物理、化学、生物学、測定技術や計算問題を石川友清編「放射線概論」通商産業研究社で補足した。また、「原子力用語辞典」コロナ社で用語知識の抜けが無いかチェックし、最新のトピックや最新技術用語をイミダス’96や月刊誌「原子力工業」日刊工業新聞社でカバーした。

        なお、本年に出題された用語「MOX燃料」や「ABWR」は上記イミダスや「原子力工業」に頻出している用語であり、また、2種類の計算問題は上記「放射線概論」の演習問題にほぼ同様のものが載っている。

      2. 2. 電子回路

        平成7年から出題傾向が変わり、かなり難しくなっている。平成6年までは、雨宮好文「現代電子回路学[1]&[2]」オーム社を基本書とすることができた。4問中の3問以上がこの基本書に記載されていたと言っても過言ではない。ところが、平成7年からは、この書籍は単に電子回路の入門書に過ぎないものとなった。特に本年は応用問題のオンパレードであり、全く新しい分野の問題も出題された。問題ミスではないかと思われる程珍しいトランジスタの等価回路を用いた問題、z変換の知識を前提とするSCF(スイッチトキャパシタフィルタ)の新作問題等がそれである。まったくお手上げであった。私は平成6年に受験したときは90点以上取れた自信があったが、本年は50点取れた自信もない。本番では問題のすばらしさ(難しさ)にショックを受け、2時間のうち1時間以上はペンが動かなかった。弁理士試験としてふさわしいものか疑問である。今後、この科目の選択をお勧めできないのは言うまでもない。

        ちなみに、参考書として、計算問題の対策用に丹野頼元「演習オペアンプ回路」森北出版、伊東規之「電子回路計算法」日本理工出版会、高橋寛「論理回路演習」コロナ社、また、回路知識の幅を広げるために桜庭一郎他「電子回路」森北出版を用いた。しかし、今後は上述の参考書だけでは十分ではない。

        私は本年の試験の終了後に来年の受験に向けて本年の新傾向(デジタル信号処理関連)に対処するための新たな参考書を購入し勉強を始めていた。z変換の基礎を理解するために中村尚五「ビギナーズデジタル信号処理」東京電気大学出版局、中村尚五「ビギナーズデジタルフィルタ」東京電気大学出版局、辻井重男他「わかりやすいディジタル信号処理」オーム社、岩田彰「ディジタル信号処理」コロナ社を読み、SCFの理解のために島田公明「アナログフィルタの基礎知識と実用設計法」誠文堂新光社を読んだ。なお、z変換を用いてSCFを解説している参考書として、少し高額であるが電子情報通信学会編「ディジタル信号処理ハンドブック」オーム社がある。

        今後はディジタル信号処理の出題が予想される。

      3. 3. 計算機工学

        平成6年に試験委員の交替があってからは、受験し易い科目になったと思う。それまでの難解な順路論理回路を設計させる問題や計算機技術の本質を問う考えさせる問題から、知識を幅広く浅く問う問題にシフトしてきたからだ。

        それでも、最低限、第2種情報処理技術者程度のプログラミング能力、ハード&ソフト、情報数学の知識が必要とされる。また、この科目は情報処理試験よりも最新技術に敏感である。特に、オブジェクト指向、人工知能、最新のマイクロプロセッサ技術の知識は必須である。コンピュータが好きでエレクトロニクス先端技術の情報収集にアンテナを張っている知識欲旺盛な人ならばお勧めできる科目である。

        これという基本書は見当たらない。多種類の参考書を用いて広い範囲をカバーし、最新技術をコンピュータ関連の雑誌で定期的にウオッチすることが必要とされる。ちなみに、私は、基本知識の収得に前試験委員所真理雄「計算システム入門」岩波書店、廣松恒彦「第1種情報処理試験完全制覇」リックテレコム、遠山暁他「ハードウェアソフトウェアの徹底研究」技術評論社を読み、マイクロプロセッサ技術の収得に斉藤忠夫他「計算機アーキテクチャ」オーム社、吉岡良雄「コンピュータアーキテクチャ入門」オーム社、笠原博徳「並列処理技術」コロナ社を読み、人工知能関連知識の収得に長田正他「AI入門」オーム社、戸田順一「人工知能入門」日本理工出版会を読み、アルゴミズム関連知識の収得に石畑清「アルゴリズムとデータ構造」岩波書店を読み、情報数学の力をつけるために情報数学研究会編「コンピュータ基礎数学」日本理工出版会、井川治男「情報処理受験用数学」弘文社を読んだ。

        しかし、これら参考書はいずれも繰り返し読むというよりはサブノート作りのときに用いただけという類のものである。この科目は、どの参考書を用いて勉強したかは重要ではなく、いかに広い範囲で知識を有しているかがポイントになると思う。その他、事務所で回覧される雑誌「日経エレクトロニクス」で最新マイクロプロセッサ技術等の情報を収集した。

      4. 4. 共通点

        上記3科目に共通点がある。平成6年又は7年から大きく出題傾向が変わったこと、計算問題や応用問題にシフトしてきたこと、最新技術に敏感になってきたこと、1冊でカバーする参考書(上述の「電気工学ポケットブック」)も存在すること、個人的に私は各科目に関連する資格(放射線取扱主任者、電気主任技術者、情報処理技術者)を既に取得していたこと、である。

  5. 最後に

    「欲しいものは、絶対に手に入れる。
    もし、手に入ったら、
    次に欲しいものを手に入れる。」

    これは私の生き方である。二兎以上をいっぺんに追いかけないこと、狙った一兎を捕まえるまで全力投球すること、一兎を捕まえても狩猟は終わらないこと、を意味する。生涯勉強でありエンドレスである。これが生きることの価値だと信じる。これを書いているたった今、弁理士会から連絡があった。10921番目の弁理士として登録が認可されたとのこと。4年間追い続けたものが確実に手に入った。次に欲しいものは既に決まっている。弁理士としての成功である。これは4年では無理だろう。しかし、手に入れるまであきらめない。

    この資格を手に入れるために多くの方から応援して頂いた。代々木塾、事務所、友人、家族、両親。皆さんに心から感謝します。

    受験生皆さんの健康と合格をお祈り申し上げます。